5/17 19:10- クリエーションギャラリーのトークショーはこれ以上の豪華さはないほどでした
佐藤晃一氏、佐藤卓氏、藤田正氏による、河村要助さんのトークショーは、知られざる(生きたまま伝説化した)河村さんへの愛に溢れていました。佐藤晃一氏は河村さんの芸大の同級生、佐藤卓氏はこれまた伝説のカメリアバンドのパーカッション(多忙なアートディレクター)、藤田正氏はニューミュージックマガジン(ミュージックマガジン)~BAD NEWSの編集長で現在は河村さんの作品の管理も行ってます。それぞれに、河村さんとの接点が深い方々の貴重なお話。河村さんの普段の姿、イラストレーションにかけるすさまじいほどの情熱、ちょっと(凡人には)理解できないような言動、音楽(特にサルサ)への思い...。時には真剣に、時には大笑い、時には涙。本人不在の欠席裁判とか言っていましたが、河村さんの多面的な部分を知ることになりました。勿論、会場はかつてないほどの規模の作品の展示。ただもう圧倒されてしまいました。印刷されることによって面白くなるのがイラストレーション、とお話がありましたが、原画の持つ力強さや繊細さもひしひしと感じることもできました。
私は、高校時代は仙台に住んでいて、イラストレーションなんて言葉も知らずに暮らしていましたが、初代「ワンダーランド」(大判)に載っていたコニーアイランドのイラストに衝撃を受けて河村さん(Y.K)を意識始めました。サルサに導いてくれたのも河村さんでした。どのアルバムから聴いたらいいですかと手紙を書いたら「それは自分で探すべき」と葉書がきました。いまでも大事にとってあります。今ではそんな世界があったのかと思う人もいるでしょうが、サルサのアルバムを紹介してくれるレコード鑑賞会(サルサ天国)にも熱心に通いました。その時に見せていただいた大学ノートにびっしりと書かれたアルバムやミュージシャンの名前。早速真似しました。六本木青画廊で展覧会が会ったときには河村さんは不在でしたが、カセットデッキからエクトール・ラボーが流れていました。そのまま持って帰ろうかなと思いましたが寸でのところで止めました。
社会人になって広島勤務時代には徳山で「OUR LATIN THING」の上映会に河村さんが来るので押しかけたり、その時付き合っていた女性が河村さんに宛てた手紙が『サルサ天国』に紹介されもしました。東京に戻り、何かのイベントでBGMに合わせてコンガを叩いていたら「ちゃんと合わせないとダメです」とお叱り。麗しのロス・ベシーノス来日ステージ(渋谷・クワトロ)で涙をこらえてミリーとジョセリンを見つめていた姿。初来日のウィリー・コロンの楽屋で静かに寄り添っていた河村さんが、私を楽屋まで招いてくれたこと。中目黒の伝説のレコードショップ主催のN.Yツアーに同行させていただいた話(『サルサ天国』にその様子が紹介)。ニューミュジッックマガジンの輸入版紹介されたアルバムを、御茶ノ水にあった伝説のレコードショップ「ラテンコーナー」に探しに行ったこと。三人の女性が眩しいカメリアバンドのステージ後、その三人を紹介してくれたこと(その時佐藤卓氏もメンバーに)...
...トークショーを聞きながら、色んな事を思い出し胸に迫るものがありました。なんと中学生時代に描かれた航空機のイラストもあり、その細かい描写もさることながら見えないところは想像で描いているのにも驚きました。「あらかじめ失われている世界を音楽で埋めたいと思っている」「誰も気が付かないところを知っている」「BAD NEWS時代からようやく自分らしく描くことができはじめた」
今ではコンピュータで、ほとんど出来てしまうが失っていることも多い時代。Macならコマンド+Zキーで前の処理に戻れるけど、筆やサインペンを自然に委ねながら描く世界には、後戻りもできない切羽詰った世界すらもあるのですね。河村さんはちょっと病で描けない状態でしたが、徐々に良くなってきているそうです。それだけ聞けただけでも安心して、ちょっぴり(いや、かなり)幸せな面持ちで雨の降りそうな夜を帰りました。「もしかしてBLOGの人?」(岡村さん)、「よく覚えてますよ、よく来てたもん」(佐藤卓氏)なんて、会場での会話も思い出したりしてね...。
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