小学校当時に住んでいた街を訪れてみました
もう何年も前に妹と懐かしくなって急に行ってみた以来です。住んでいた家のあった場所(一番町)から二番町、三番町と順に小中学校のある六番町へ通学路をたどりました。同級生達の家はマンションや駐車場になっていましたが、唯一中華店だけは残っていました。40年以上振りでお店に入ってみました。
老夫婦と中年の男性が一人。どうやら弟が店をつぎ両親が切り盛りしている様子。昼どきだったのでラーメンを注文。昔ながらの飾り気のない味に母と行ったのが最後だったことを思い出しました。テーブルも椅子も店名が刷られたどんぶりも当時のままのようです。ダイヤル式の黒電話にはひっきりなしに注文が入るので、ご近所への出前として人気があるんでしょうネ。「ありがとうございました」と、腰の低い2人の声に送られて店を後にしました。もしかして初めて食べたラーメンはここだったのかもしれません。
住んでいた家の狭い路地を抜けて通りに出ると、八百屋さんと靴屋がありました。靴屋といっても靴の修理専門店。靴屋の方は駐車場になってしまいましたが、八百屋さんは当時のまま営業していました。天井からヒモでザルがつるしてあって、そこにお会計や釣り銭が入っていました。
その後、花京院を抜けて仙台駅へ。通っていたプラモデル屋もないし、「サルサ天国」を買ったデパート裏の左翼系の本屋もなくなっていました。まぁ、無理もない話しで、中華店と八百屋があった方が奇跡のようなものですから。そういえば、駅前の仙台ホテルは明日で廃業。初めて入ったホテルはここでした。地下の中華店は母が好きだったので、よく家族で行きまし、1Fの喫茶店はデートコースでした。
音楽や映画は部屋で再生できるけど、街は幻になっても、心の中に生きている。人の命もそうなんだろうと...。
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