市川雷蔵と勝新太郎
この本のまず優れているところは、同じ年(1931年)に生まれ、同じ年(1954)に大映入社した二人のバックボーンに歌舞伎があったこと。関西歌舞伎の凋落と大映隆盛がシンクロしていたこと。この二点に十分に時間をかけて記述した後に、大映時代の二人を並走させていること。まずはじめに市川雷蔵に芽が出て、それを追うように勝新太郎が飛躍していく。プログラムピクチャーをこなしながら自分の好きな作品を撮っていた市川雷蔵、プログラムピクチャーに埋没していた勝新太郎。大映または映画産業が衰退していくのを留めていくようにシリーズものを主演していた二人。
作品の個々の評価には深堀りせずに、時系列的に作品評価と大映=映画産業を織り交ぜることによって二人の映画俳優を浮き彫りにする構成。できるだけ集められた映画のポスター、惹句(じゃっく)の紹介、個々の映画の本人及び関係者の証言、巻末の年表(年単位の出演記録)が膨らみを持たせている。
1969.7.17、市川雷蔵が亡くなる前後の話に胸が詰まってしまう。そして、残された勝新太郎と大映の倒産(1971.12.21)。何を演じても市川雷蔵だったのに対して勝新太郎は「座頭市」に同化したゆえに俳優人生としては未完だったと結ぶ。
ルーキー新一とイヤーンイヤーン人生
「スチャラカ社員」「てなもんや三度笠」「花王名人劇場」「ズームイン!!朝!」の演出家として次々とヒット作を手掛けたきた今年5.16で亡くなった澤田隆治氏の最後の著書。たった5年でコメディアンとして燃え尽きたルーキー新一への愛憎溢れる内容に心ざわめいてしまった。氏とルーキー新一との出会いは氏が企画制作していた「漫才教室」から。その才能を見込んで「スチャラカ社員」「てなもんや三度笠」に起用した時から人気者になっていく。
・腰を曲げて前のめり、両胸のあたりを両手でつまんで左右に振り「イヤーン、イヤーン、イヤーン」
・幼児言葉で「これはエライことですよ(これは)」
小学生だった私にもこれがえらくウけてこの二つをよく使って邪気に笑っていたものだ。
吉本退団後も劇団創立し活躍していたが、賭け事、借金、暴力事件、酒で徐々に破滅してしまった。吉本退団後は澤田氏は直接的に関わりを持ってはいなかったが、最後に「自分自身の人生の幕が明日にでも下ろうかという年齢になっても、こういった文章を残しておこうと思うのはなぜだろうか」と締めくくっている。
こうして短期間に三人の芸人の姿を身近に感じさせられて、これほど鮮明な光を放つ芸人が今どれほどいるのだろうとため息をついてしまった。
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