2020.7.21訃報を知ってショック
和製ポップスの先駆者としてパンチのある歌い方で一世を風靡。その後、筒美京平の(渚のうわさ 1967、可愛い嘘 1968)でイメージチェンジを果たすが恵まれず(この2曲は後世に残る名曲だと思う)、起死回生を掛けた「人形の家」で見事にカムバック。容姿もすっかり変わり驚いたのを昨日のことのように思い出す。
顔も見たくないほど
あ(ha)なたに嫌われるなんて
と(o)ても信じられない
愛(ha)が消えたいまも
ほ(wo)こりにまみ(i)れた人形(ho)みたいに
(ha)愛されて捨てられて
(wa)忘れられた部屋のかたすみ
私は(ha)あなた(i)に(i)命を(wo)あ(ha)ずけた
こんなに情緒的な歌に弘田三枝子らしさを散りばめたフレージング。この辺が並の歌手とは違う。シングルはスローでしっとりとした仕上がりだが、TVでのライブ(1969.12.31 レコード大賞歌謡賞受賞、紅白)は楽団をバックにビートを利かせている。ライブは口元の表情もよく分かり見応え充分。特に紅白のエンディングには並々ならぬ自信に溢れて聴き応え十分。
聴き逃がせないのが、シングルでのストリングス(森岡賢一郎:ケニー・ウッド・オーケストラ)はエクトール・ラボー「Periódico De Ayer」を彷彿させる戦慄鳥肌モノだ。また、ポール・モーリアと組んだバージョン(1976.11.20)は、濃厚なストリングスや時折聞こえるパーカッションに彩られ、ややテンポを落とし、歌い込んだが故にエモーショナルで鳥肌な歌唱。よくぞ残しておいてくれたと感謝したい気持ちがいっぱいのバージョンも素晴らしい。
「サルサ人形の家」(1998)は、サウンドも歌もやや軽めだがスペイン語のセルフカバー。熱心なファン以外にはお勧めできないマニア向けかもしれないが、結構好き。このCDは『MICO is POPS QUEEN』『華麗度〜MICO is Kaleidoscope』からのセレクト盤。「Be My Baby」のカバーもあり、ファンなら楽しめる内容だと思う。
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