スタート直後の感覚
スタート直前のザワザワとした思いが、いざ走り始める瞬間に自分の中に変化していく感覚。走り込みが足りない、スタミナが最後までもつか、足(特に右)は最後まで大地を蹴ることができるか、NIKE+ GPSはきちんとしたデータを知らせてくれるか(昨年は設定ミスで半分の情報にとどまった)、記録はともかく納得できる形で完走できるか...などと、少しナーバスになりかけていました。
いざ走り始めて、初めの角を曲がり集団がばらけてくると、前には前へ前へ押し出されるような感覚に全身が包まれていました。ああ、これなんだなぁ、と思わず笑みが沸いてきてその時まで併走していたママボリンケンと目配せ。前日に選曲を入替えた音楽も、緩急があり気分にぴったり。500m単位で克明に伝えられるペースレポート。ママボリンケンの会社の方から「初めはとにかく突っ込んでいくべき」とアドバイスいただいたのですが、そんな駆け引き=作戦などできない私は、5分/km台前半でペースキープすることに専念し、腕の振りが衰えないように努めました。追い越すよりも追い越される方が多かったのですが、とにかくペースが落ちないように。かといってペースが落ちたから急に加速はできないので、足の調子と呼吸に相談しながら走り続けていました。
ゴール直後の感覚
残り2kmでのギアチェンジでハイペースに持っていき一気にゴール。その瞬間、
「ああ、これで走らなくてもいいんだ」
と、空を見上げ大きく深呼吸してしまいました。
二年半前に、ランを始めたときには、大それた目標とか掲げずに好きなときに好きなだけ走る、これがテーマでした。いまでも変りはないのですが、ハーフマラソンに出るという日程が決まると、そのために何かしなくてはいけない、トレーニングや食事のスケジュールも考えなくてはいけない...「~しなくちゃいけない」の渦でいささかうんざり。競技者じゃないのになんでここまで考えるんだろう、とか考えると朝のランもいささかさぼりがちだったり家を出るのが億劫になったり。それでも、ランニングウェアを着て表に出ると、ああやっぱり気持ちがいい...とか妙に高揚したり。
ところが、ハーフマラソンを走り終えたとき大きく深呼吸が(ため息かもしれないが)、つもり積もったそんな思いを一度に全部吐き出してしまったように感じました。そして、ゴール付近から2~3歩歩き始めると、
「うん、また走りたい!」
とワクワクし始めました。
何のために走るのか...プロ・アマ問わず全てのランナーのテーマなんでしょうけど、私は「自分のため」と。自分らしく生きていくのにどうしても必要なもの。そして、あまり大きな目標を立てずにこれからも走るんだ、と体と心が訴えていました。そのために必要な代償=犠牲が足やわきの下の筋肉痛なのではないかとも。真っ青な空、心地よく軽い空気、爽やかな風、共に走るパートナー、四季とのふれあい、体と心を見つめながらのランは、きっと、これからも続いていく。かたちにならない何かを置き換えていく限り...。
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