小倉エージという人を気にして、もう40年
はっぴえんどの1stのディレクターとして音楽関連をスタートさせたエージさん。昔から気になる存在でした。高校時代まで仙台で過した私にとっての情報源といえば、入り浸っていた「ピーターパン」というロック喫茶。マスターの長崎さんには色々と教えてもらいました。「Music Life」を卒業した私にとっては、「ニュー・ミュージック・マガジン」(当時はニューが付いていた)も重要な情報源。「ブラックホーク」の広告までしらみつぶしに読んでいました。何度かの引越し後ディスクユニオンに創刊から20年分を売却したことは、今でも悔やんでいます。
その「ニュー・ミュージック・マガジン」(以下マガジン)で、エージさんの紹介するアルバムや特集記事にはハッとするものが多く愛読していました。私が、ハードロック系、ブリティッシュ系に向かわなかったのは、エージさんの影響も大きかったでしょうね。ディラン〜ザ・バンド、ビーチ・ボーイズ周辺、ウエストコースト、バーバンク...サルサに出会うまでの75年頃の中心です。年をとると音楽の聴き方も変わり、当時の耳よりもはるかに深度を深く聴くことができますが、新しい音楽に出会ってワクワクすることは減りました。
エージさんがマガジンに発表した記事やインタビューがまとめて一冊の本になりました。その名も『ロック・オブ・エージズ』。鈴木茂のLA録音に同行し、リトル・フィートのライブ〜ローエル・ジョージとのインタビュー(ジョージ・ハリスンの74年ツアーも見ている)。クリス・トーマスをプロデュースに迎えての『黒船』のレコーディング風景。ザ・バンドの「ラスト・ワルツ」公演(矢吹さんのイラストが素晴らしい)。ティンパンアレーの東北ツアー。難解な言葉を使わずに、息づかいまでも伝える独特の文章。ジェームズ・テーラーのセクションやジョージ・ハリスンのバック(ウィリー・ウィークス、アンディー・ニューマーク)などは、ソウルやR&Bの影響をストレートに表現せずに、独特のポップ感覚でまとめていましたが、ティンパンやミカバンドもその方向に向いていたような気がします。私の好きなロックの最終形がこれらでした。トーキング・ヘッズが更にファンク〜アフリカを俯瞰していく姿も、この本にも紹介されていて時代の変わり目も伝わるようになっていますが、私のロックとの真剣な付き合いもこの辺までかもしれません。
本当に世の中は音楽を必要としているのか...
少なくとも、たとえ聴いている音楽が、今のものではないにしても、少なくても私には必要です。産業となった音楽が衰退しているだけなので無視していますが、いい音楽は心に残り、私を前に前に進めてくれます。加藤和彦さんの自殺というショックから数日経ちましたが『サディスティック・ミカ・バンド』『黒船』を何度か繰り返したあと、スライを聴いています。どこにもない音楽を創っていた姿って、今でも眩しいです。73年にロックにトロピカル感覚を入れていたなんて、やっぱりスゴイです。(グラムっぽいと思いきや『Big Pink』の頃のザ・バンド風だったり、ちょっとヤラレますヨ)
コメント
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