河村さんの久し振りの個展初日に行ってきました
お元気そうな姿に接することができて安心しました。主催の、藤田さん、岡村さんにもお会いできて良かったです。河村さんの部屋にある赤いソファーも持ち込まれ、まるで河村さんの部屋にお邪魔している雰囲気もあります。手がけたレコードジャケット(なんとエディ・パルミエリのベストに本国で採用された)やパンフレットの数々。勿論、『Bad News』の表紙(原画も一部)、時計...まるでカレイドスコープのようなヨースケ・ワールドに圧倒されてしまいました。
河村さんのイラストに心を動かされたのは行ったいいつのことだったろうか
100%スタジオ(河村要助、矢吹申彦、湯村輝彦=今考えると凄いメンバー)全面協力の創刊されたばかりの『ニュー・ミュージック・マガジン』、『宝島』(A3の大きさ)などでのイラストや独特の文体に魅了されました。ハメット〜チャンドラー〜ロス・マクのミステリー、DooWoop...色々なことを教わりました。とにかく今と比べて情報の入手方法が限られていた時代に(40年ぐらい前)僅かな情報で「見ず知らずの文化」に憧れる。そんな指南役として。
そして、なによりも、決定的だったのがサルサ
当時、学生として上京していた私は、何度も河村さん、藤田さんが開催していた「サルサ天国」というレコードコンサートに足げに通いました。あの独特の字で、ミュージシャンやアルバムをメモしている大き目の大学ノートもとても印象的です。今はフライヤーと呼ぶそうですが、そこでのチラシも今でも持っています。ブラック・ミュージック・レビューの連載などをまとめた『サルサ天国』『サルサ番外地』はサルサファンにとってもバイブルのような存在です。今は、気軽にamazonでチェックできるアルバムですが、当時(75年頃)は少ない入荷と限られた予算の中でレコードを集めるものですから、必死でしたね。でも、生涯のアルバムエラジオ・ヒメネスの唯一のソロも河村さんがマガジンで紹介してくれたから知り合えたワケです。ニューヨークにも一緒に行き、ロス・ベシーノスのステージも見ることが出来ました。
残念ながら、サルサに関して最近は文章をお書きになっていなく、とても残念です。なんとか、『サルサ番外地』以降ブラック・ミュージック・レビューに連載されたのをまとめて欲しいです。藤田さんあたりがやってくれるといいのですが...今度お会いできたらお願いしてみたいです。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。