この曲を取り憑かれたように毎日聴いていた
重苦しいストリングとルーベンのスキャットから始まり、ルイ・ラミレスのヴァイブ、再びストリングス(ボンゴの連打)に戻るイントロ。これだけでどれだけ心震わせただろうか。そして、ルーベンの歌とコロ(ホルヘ・ミジェー、ナンシー・オニール、アダルベルト・サンティアゴ)のやり取りがやるせなくも切ない。ニッキー・マーレロのボンゴとカウベル、ティンバレルのフィルイン、繰り返されるストリングス。
Oye que triste quede, cuando se fue Paula C.
Paula C.が去ったとき、どれほど悲しかったことか
カウベルの連打で突然リズムがサンバ風になり、まるでクィーカのようなルーベンのスキャットに絡みつくようなストリングスとガットギター。この展開、ロベルト・ローナの『La 8va. Maravilla』での「Pico Guaguancó」「Apeló」を思い出して、個々の部分ばかり繰り返していた。歌に戻り、ティンバレスのフィルイン、ヴァイブのソロ、ヒリヒリするほどのレイ・マルドナード(リカルド・レイの兄、エクトール・ラボー「Mi Gente」でのソロも印象的)のトランペットソロがこれでもかというほど盛り上げてフェイドアウト。
ロス・ベシーノスとPaula C.の謎
個人的な話だが、82年最初で最後のN.Y.、クイーンズのクラブ(Casa Borinquen)でベシーノスのライブを見たあとに、マンハッタンのクラブへ出演するというので彼らの車に同行(両脇にジェセリーンとコロの女性)、道中色んなカセットをかけてもらっていた。ちょうどブルックリン橋を渡る時に、この曲が流れて目の前に広がった夜景に感涙。そして、Paula C.って誰だろうかと長い間謎だった。知り合ったキューバ人に歌詞を書いてもらったけど訳がうまくできずにそのまま。なにげに検索していたらこの曲にまつわるサイトを見つけたのが10年ぐらい前。
Paula C.はアイルランド系アメリカ人女性のこと
そのサイトによると、二人が出会ったのはN.Y.ブロードウェイと西84丁目の彼女の仕事先で75年。ファニアのメール室に勤務していて、売り込みしながらちょうど、レイ・バレットのコロをしていた頃。サイトは本人インタビュー・電話(2007.9〜12月)をベースに二人のことはもちろん、当時のファニアの不当な扱い、ルーベンが認められていくエピソードも含められているので非常に興味深い。インタビューで言及していたパナマのジャズピアニスト、ダニーロ・ペレスのカバーは初めて聴いたけどいい雰囲気。
ここ最近共に活動しているパナマのロベルト・デルガド楽団との新譜『SALSWIG!』にこの曲が収録されているが、78年盤では濃厚なストリングス、こちらは華麗で軽快なブラスのせいか、ややコクややるせなさが足りない印象。オリジナルの78年盤にかなりの思い入れがある分、今の私には響かない。同じロベルト・デルガド楽団との共演なら『SON DE PANAMÁ』『SALSA BIG BAND』の方が好き。そういえば、78年盤は改めて聴いてみると大好きなアスキータのやるせない歌やソニー・ブラボーのピアノソロも楽しめる名盤だと思う。
■Who is Paula C.? ¿Quién es Paula C?
http://www.maestravida.com/paulacinterview.html
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