北中さんがビートルズ本を!?
何故?というのが正直な印象。サルサに出会う前に、エージさんと共に北中さんが紹介する音楽に導かれて過ごしていたなかでビートルズについて語られたことがあまりなかったように記憶している。北中さんはロックの範疇を超えてワールドの世界も視野に入れた評論活動をしている。その北中さんがどのような切り口でビートルズを語るか興味津々で手にとってみて、目次をめくって驚きが先行したのが正直な気持ち。
※何故ビートルズだけが例外なのか
①故郷リバプール
②ジョン・レノンはアイルランド人か
③ミンストレル・ショウの残影
④スキッフルがなければ
⑤作品の源流はどこに?
⑥カヴァー曲、R&B、ラテン音楽
⑦カリブ海、アフリカとの出会い
⑧60年代とインド音楽
⑨ふたつのアップルの半世紀
⑩ビートルズはなぜ4人組か
まず⑥のラテン音楽との関係。とかく、R&Rとのつながりで語られるビートルズが多いが「Twist And Shout」を題材としたラテンとの関係。キューバのソンとのつながりをオリジナルのアイズレー・ブラザーズと比較しながら解明していく。ポールのベースが2-3のリズムになっているとは、いままで意識してなかっただけに新鮮だ。
続く⑦は戦後の政策により帝国・連邦内の住民に対してイギリス国内へ移住できるパスポートを発行。これによってカリブ海系の移民が急増。当然ながらミュージシャンも増え、リバプール市内のクラブにもトリニダード出身のバンドが出演。このバンドをハンブルグに派遣したプロモーターが、次に派遣したのがビートルズだった。
ロンドンのクラブ巡りが好きだったポールがスカをベースに、知り合ったナイジェリア人の口癖を元に作ったのが「Ob-La-Di, Ob-La,Di」。この話も読んでいてスリリングで興味深い。
G7外相会合はリバプールで今年12/11〜12に開催。何故リバプール?と疑問だったが、①によるとリバプールは港湾都市として発展し三角貿易の中継基地としても重要な場所だった。輸入した綿花を加工する場所がマンチェスター。イギリス初の鉄道が開通したのがリバプール〜マンチェスターだったのはそのためだった。そういった意味ではG7外相会合の開催場所通しては相応しかったのではないかと。そのリバプールはドイツ軍の空襲で壊滅的に破壊され、戦後も繁栄を取り戻せずに、ビートルズのメンバーが幼い頃には瓦礫の残る空き地で遊んでいたそうだ。なぜこの歌が?と疑問だった「Maggie Mae」は船員たちの間で歌われていた民謡というのもうなずける話だ。
リバプール〜マンチェスターで思い出したけどピンキーとフェラスの「マンチェスターとリバプール」、よくラジオでかかっていたなぁ。細かいジャンル分けのない時代はすべて洋楽という括りだった。ビートルズの4人もこうして様々なジャンルを何隔てることなく聴いていたと思う。
アップルを巡る話は⑨。30年も係争を繰り返していた両者だったが、2010年にiTunes(今はApple Music)で配信されるようになったのは、歴史的な瞬間だった。個人的にはジョブズがアップルに復帰した後に「Think different」というスローガンを掲げ、その衝撃的だったプロモーションビデオにジョン・レノンも出ていたことが印象的だった。
『Let It Be』から50年、ビートルズの活動時期の数倍の経過している今、<創造性や自由や抑圧をめぐってビートルズの音楽と存在が投げかけた問は、情報が世界を支配する21世紀のいま、ますます重みを増しているように思えます。この本はそれをお伝えしたくて書いたようなものです>と北中さんは締めくくっている。ふと思ったのが、系図やコネクションを解きながら世の中の影の支配者を浮き彫りにしていく広瀬隆の手法。表層をなぞるスピードだけが重要視される世界を生きる私達によっても重要なメッセージではないだろうか。
バラカンさんとの対談も本の補足以上の内容で、フムフムと読んでしまった。
https://bit.ly/3E5qKX0
https://bit.ly/324XSkG
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