聴いているようで聴いていなかったスタン・ゲッツ
スタン・ゲッツって「イパネバの娘」で、ちょっと大きめでブパブパしている印象が強くて、これまで真剣に聴いていなかった。それでも『意味がなければスイングはない』の中の「スタン・ゲッツの闇の時代」を読み返したり、『ポートレイト・イン・ジャズ』で紹介されている『AT STORYVILLE VOL.1』を聴き直し、溌剌とした若き姿を再確認したりしていた。
革新的ではないが
チャーリー・パーカー、マイルス、コルトレーンのようにジャズの歴史を塗り替えていくほど革新的ではないがスタン・ゲッツには雄弁なメロディストとしての存在が文学で言えばフィッツ・ジェラルドと同じほど好きだ...という訳者の紹介に導かれ、約1ヶ月をかけて『スタン・ゲッツ :音楽を生きる』を、それぞれ代表的なアルバムを聴きながら読んでいた。
ジャズの歴史も
この本の優れたところは、スタン・ゲッツの歩みとその時々のジャズシーンを交互に表現しているため、ジャズの歴史のおさらいにもなり個人的にもためになった。ブロンクスでの貧困時代から才能が認められて羽ばたく時、ジャズシーンに躍り出た頃は読んでいて楽しい。ところが、ヘロイン中毒、アルコール、DV、長引く離婚騒動あたりが中心の後半はいささか読むのもしんどい時もあった。(そのおかげで1ヶ月もかかった)
それでも、ボサノバとの出会いはワクワクしてしまうし、音楽への情熱だけは消えなかった姿は訴えるものがある。ボサノバ時代以降(同時進行も)のスタン・ゲッツの数々の名盤に取り憑かれるように毎朝毎晩浸っていた。
『Focus』(1961)はオーケストラをバックにリリカルな世界、若きチック・コリアとの『Sweet Rain』(1967)はチック・コリアの若きボイシングに刺激を受け艶やかなソロが心地いい。中でもボサノバ調の「O Grande Amor」の夢見るような節回しがスタン・ゲッツらしくてとても艶やか。
ソウル・ジャズ風味のオルガンコンボとの『Dynasty』(1971)はジャズの枠組みから抜き出た印象。このライブでも天性のメロディストぶりをいかんなく発揮していて聴いてて気持ちがいい。そして、チック・コリアとの再会『Captain Marvel』(1972)は、その後リターン・トゥー・フォーエバーになるメンバーとの共演。ドラムをトニー・ウィリアムスに変えたのが功を奏したのかリズムにメリハリが出て素晴らしいスタジオ録音になっている。
ケニーバロン(ピアノ)だけをバックにした『People Time』は癌で亡くなる数ヶ月前の演奏。もうしばらくしてからもう一度聴き直してみたい。70年代のアルバムを聴きながら急に高円寺のライブハウス次郎吉で毎月観ていたしーちゃんブラザーズの事を思い出していた。しーちゃんこと井上茂のドラミングはもしかしてトニー・ウィリアムスだったのかとも。
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