仙台に住んでいた高校生にとってはニュー・ミュージック・マガジンだけが音楽の情報源だった
発売日も不定期に入荷するニュー・ミュージック・マガジンを探して、仙台市内の書店を丸善とか金港堂を徘徊。中村とうようさんが編集長をやっていた時期の誌面からほとばしる思いを、そのまま受け止めていました。どちらかといえば、メジャーなロックよりも、シンガーソングライター系、そしてザ・バンドをきっかけとしてベアズヴィル系、バン・ダイク・パークスをきっかけとしてバーバンク系をこよなく愛するようになりました。
そして、人生にとって大きな転機となった「とうようズトーク」でのサルサの紹介
これまでラテンとはまったく無縁だった私に激しい衝撃。ファニア・オールスターのチータライブ、ウィリー・コロン、エクトール・ラボー…。「とうようズトーク」で紹介されていた数枚のサルサのLPをぼんやりと数ヶ月聴いていて、突然雷に打たれたような衝撃。それから、人生が変わってしまいました。
その後、アフリカ、ブラジル、インドネシア…と様々な音楽を教えてくれた、とうようさん。今は幻のカリビアン・カーニバル(エル・グラン・コンボがトリだった)で、目の前に並んでいたり、ワケあって訪れた編集部での僅かの会話。道しるべのような燈台のような存在。とうようさんとは違う判断基準でしたが、「とうようズトーク」は欠かさず読んでいました。
加藤和彦さん、今野雄二さん、原田芳雄さん…憧れていたいた人達が次々と去っていくことの重みに耐えられないような毎日...。
今夜は、マイーザがしみます。
今日は よろしくお願いしますね^^すごいですね^^
投稿情報: フルラ 財布 | 2013/03/14 00:43
ピミエンタ(サミーディビスJR似)氏が大好きでした!彼も天国ですね...ラテンブロデス(風呂デス)に聴こえて^^タモリ倶楽部に投稿しようかと思ったりして^^
投稿情報: ピポ | 2011/07/27 17:43
アロージョといえばソロもステキでしたが、フルーコとのコンビ(ラテン・ブラザース)も
大好きでした。なんか仕事を休んで、一日中音楽に浸っていたい、そんな想いです。
日曜日にアルバムを整理していて、ラテン・ブラザースのジャケットをしげしげと見た
ばかりなので、余計に寂しく感じます。
投稿情報: Borinquen | 2011/07/27 13:13
.....15
年前ぐらいだっか?スイートココのマスターから病状について、NYでの感染....
話されていた事を思い出します。コロンビアのコンピVDにて元気に歌う彼の姿が...
目に浮かびますネ^^
天国には、仲間や先輩方々が沢山待っています。冥福を祈りたいと思います...
投稿情報: ピポ | 2011/07/27 08:12
ホント悲しすぎる話、ここ数日間は色々考えてしまってます。
友人のTwitterでジョー・アロージョの死を今知りました。
投稿情報: Borinquen | 2011/07/27 04:34
コロンブスの卵かと...言ってしまえば...
それまでの事かもしれないですが!?
伝えると言う事の重大な意味は深いと思います。
それにしても...悲しい最期...
語る友も!?身内も...誰もいなかったのでしょうか?
寂しい日々をおくられていたのでしょう...
身につまされます。
投稿情報: ピポ | 2011/07/26 21:56