どこへ行っても行列、行列、行列
一昨日ですが、私の勘違いで吉祥寺へ。もう、まったく、メールを斜め読みしてうっかりしてしまいました。関係者の方々ごめんなさい。で、ぽっかり空いてしまい、折角だから、気ままに吉祥寺探索。吉祥寺といえば、母校もあり三年半以上住んでいたので特に愛着のある場所です。私が住み始めたころは、ポパイの創刊などもありアメリカ、アメリカしていました。仙台で鬱積した時間帯を過していたので、一人暮らしを始めた開放感と共に吉祥寺(当時はジョージとか呼んでいた)には、なんかこのぅ光り輝く未来も見えてきたように勘違いもしていました。最近は、所用で年に何回か行きますが、用事が済めばそのまま帰ってしまいました。
それにしても日曜日とあってかスゴイ人、人、人。地元の人と観光客など入り混じりまっすぐ歩けないほどで、狭い場所にぎゅうぎゅうに押し込められたような圧迫感すら覚えました。飲食店、メンチカツのお店、なんと自転車置き場すらも長蛇の列には驚きました。自転車置き場で並んで待っている人たちは当たり前のような顔しておとなしく待っているけど、これが自然なんだろうか。どこにでも自転車を止めていいワケではなさそうなので、そういった意味では民度が高いのかな?
吉祥寺を離れてもう三十年以上
仕方がないのですが、昔の行きつけの店はほとんど消滅してしまいましたね。名物マスターがいてサーファーがバイトしていた「西海岸」、話題のクロスオーバーをかけていた「しもん」、その下にあった「ティー・クリッパー」、しょうが焼きがおいしかった「ひさの」、通学路にあった芽瑠璃堂とジョージア...。特に、芽瑠璃堂とジョージアは、何も用事がないのに新譜がないかどうか、目ぼしいのがないのか、裏面のクレジットをじっくり見たりして時間をつぶしていました。駅前に新星堂NSもあってラテン関連は充実してもいました。その中で「スクラッチ」はありました。中には入りませんでしたが、ここの筋にくれば、その日の気分で入れる店が色々あったことを思い出しました。
サンロードを突き抜けてドンつきの五日市街道を西へ
その角付近にハンバーグのおいしい店もあったなぁ、とか考えながら卒業以来訪れる母校へ。いつもたむろしていたミルクホールを探したけど、記憶も痕跡もなく、ただもう立派になった構内をぐるりとまわってみました。そして、五日市街道から一歩入ったところに、現在(おそらく)台湾方面で生息しているはずのO氏とMasaが住んでいたアパートが当時のままにあるのを発見。これには、驚きました。壁とかはきれいにしていると思いますが玄関とかも当時のまま。楽しかった思い出と恥ずかしい思い出が入り混じった複雑なすっぱさ。そして、帰りは駅方面に住宅地を歩きました。駅前の喧騒とは違い、静寂が辺りを包んでいます。人も通らなく車も通らない。あまりにも静か過ぎて落ち着かなくなるほど。南口に出て高架下をくぐると、私が住んでいた場所は建て替えされてグレードアップしていました。表札にはお世話になった大家さんの名前と建物に以前の名前を見つけてうれしくもなりました。
中央線で吉祥寺方面に行くときに車外の風景をぼんやり見ていますが、どこまでいっても住宅。それに圧倒されて息苦しくなってしまいます。私が住んでいる新浦安は、高層マンションが立ち並び、幅の広い道、要所要所に公園、川があって、海辺もある。駅から家まで色んな店があって、のぞいてみたり立ち寄ってみたり出来る吉祥寺。駅周辺で買い物を済ませたらまっすぐに家に帰る(途中に何もない)新浦安。う~ん、どっちがいいのかなぁ。駅ビルではなくぽつんと気の置けないスポットが2~3あると個人的にうれしいのですがネ。
一昨日、地元の活性化についても会合がありましたが、そんな話も出ていたのでしょうか。街ということについて色々と考えさせられた一日でした。
行ったのね、、、忘年会いつにする?
投稿情報: Gambo | 2010/12/07 00:33