あるひとつの次期に達成されるべき何かが達成されないままに終わってしまうこと
それは仕方がないことではない
読みかけの『遠い太鼓』の一節を思い出させる、鋸南保田漁港からのぞむ富士山へ沈む太陽。空も海も夕日に染まり静かな時間帯。炭酸風呂に入り一息着き、私たちにとって早い夕食。ちょっと大雑把な感じがしてひと工夫が欲しかったかな...なんて思っているとママボリンケンが早く早くと催促。大慌てで港に向かうと落ちかけの夕日に間に合いました。燈台の淡い光、モクモクの入道雲、茜色の空。今の私にはこの情景をどうして表現したらいいか分からないほどの自然の織りなすものに、ただただ圧倒されていました。これから、どうやって生きていったら、何かを失わずに済むのか。ここに立っているのは何かの偶然なのか、導かれた必然なのか...。
見物海岸、瀬戸浜海岸、二つの浜の違い
今日はいつもと違い房総フラワーライン(ルート257)を南下しながら千倉を目指しました。いつもは帰りに使う道ですが、雲一つなく空気が澄む朝に時間帯に走ると、とても気持ちがいいです。夕方訪れた見物海岸で一休み。遠い浅瀬が続く穏やかな波打ち際。貝やガラスや石、そして魚までも打ち上げされていました。ママボリンケンによるとガラスものがいい、と。波や砂に揉まれているうちにカドがとれて独特の姿に変わっていったもの達を、ひとつひとつ選びながら拾っていく。
いや、色々あるんです。うまくいかないことが。その原因は自分にあったり、周りにあったり、その両方だったり。うまくいかないことたちがしがみついて体や気持ちに感じてくるとたまらなくなってくるんです。でも、こうして、本当ならベットでぐだぐだしている時間に、こうして拾いしたり、拾いものをしているママボリンケンや波や空をぼんやりと眺めていると、免疫力が強くなってくるのを感じます。
いつもの千倉瀬戸浜海岸は、もうオフ・シーズン。海水浴客もほとんどいなく砂浜は10人程度。思い出したように泳いで、泳ぎに飽きたらしゃがみ込んでいました。二つあった海の家も、今年にオープンした片方はさっさと店じまい。古くからある方も、申し訳なさそうに開いている程度。一方、磯浜の方は家族連れが何組か。夏休みの宿題が終わったご褒美に最後の海を楽しんでいるようでした。私たちは磯浜の方に陣地を設営後、まずは冷たいビールをぐびぐび、あとは読書したり、思い出したように砂浜や磯浜でボードで ちゃぷちゃぷ。キャーキャー遠くで騒いでいる皆揃って足が長い子供達や海を目の前にして物怖じしない犬たちを眺めていました。真っ青な雲一つない空、藍色とエメラルドグリーンの海。透き通った空気と水。いつまでもここにいたくなる場所って、そんなにないはず。
ここは、ノルマンディの夜景か?
鋸南保田から高速に乗るはずが、道を見落としてしまい、そのまま内房なぎさライン(ルート127)を木更津まで北上。空が藍色に沈んでいく中、黒々とそびえる富士山を左に見ながら(私は運転しているのでママボリンケンはじっと見ていた)初めて通る道を慎重に運転していました。遠くに海に浮かんで見えたフェリー乗り場、うねうねとトンネルからトンネルへと続く影のような道。早朝はどうなのか気になりますネ。
フレームの移動
夕日に圧倒されていた私ですが、どうも写真がしっくりいかない。iPhone 4で撮ったりGRDで撮ったり。ママボリンケンのアドバイスでちょっと引き漁船とモクモクの入道雲を入れてフレーミング。うん、これだね。年に何枚もない奇蹟のワンショットはこうして撮れました。思えば、行き帰りのルートも、フレームを変えて辿ったので、いつもと違う南房総を知ることが出来ました。
それにしても、距離にして2kmで、同じ夕日を見ていたなんて...なんという偶然。
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