「ウッドストックはとてもインスピレーショナルな場所だ。ご存じの通り、偉大な
ミュージシャン達が住んでいたり、また、そこを訪れたり、出て行ったりしていた。
私も多くのミュージシャンと出会った」
「ルイジアナとウッドストックの音楽は異なる。知っての通り、ルイジアナには我々
独特の音楽スタイルがある。そして、ウッドストックはちょっと違っている。でも、
丁度ザ・バンドが『ロック・オブ・エイジズ』のアルバムを作成中に、ホーンを入れ
たいということになって、私がアラン・トゥーサンを知っていると言ったら、彼らも
アランを尊敬していたので、すぐに呼ぶことになったんだ。そして、それがアランに
とって、生まれて初めて雪を見たことになったんだ」
「(「スモール・タウン・トーク」について)この曲にはふたつくらいの楽器しか
使っていないんだ。ドクター・ジョンがオルガンのフット・ペダルを踏み、リヴォンが
ドラム。それだけでレコーディングした。その後からドクター・ジョンがリズム・ギターを
かぶせた」
ボビー・チャールズが友人のベン・キースに誘われて、ウッドストックを訪れたのが70年代に入ってすぐのこと。本人の記憶では、70年か71年に移ってきて、2~3年の間住んでいたとか。ウッドストックにルイジアナの強烈なスパイスをもたらしたのがボビー・チャールズだった。
今朝、なにげにmixiのトップメニューをながめていたら、ガンボさんの一言で、ボビー・チャールズが亡くなったことを知りました。ああ、なんということ。私に音楽を教えてくれた一枚が、72年にベアズヴィルからリリースされたソロ・アルバム。ボニー・レイトのセカンドと共に毎日聴いていました。スタジオとバックミュージシャンのクレジットだけを頼りに色々集めて、それがウッドストックに集まる連中の音楽と知ることになりました。年末に、予告なしに出ていた『BEARSVILLE BOX』の再発。未発表の音源やなにより愛のこもったライナーが魅力です。断片的に知っていたベアズヴィル・レコードの全容も分かりました。(冒頭のインタビューは、ライナーからの部分引用しました)
アサイラムと同様に、インディーズの音楽を大手の流通を使って広める、このやり方を始めたのもベアズヴィル・レコードだったといわれます。閉塞感のある音楽業界ですが、この辺にも新しい時代のヒントがあるのかもしれません。...ああ、それにしても恨めしいくらいに晴れている空を眺めながら「Tennessee Blues」を聴いていると、なんだかとても悲しい。
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