まずは、スライ
先週までは、『エッセンシャル〜』を聴きながら『スライ&ザ・ファミリーストーンの伝説 人生はサーカス』を読んでいたものですから、頭の中はファンキーになっていました。マルチプレーヤーとして活躍して、バンドを編成してデビュー。過去の黒人音楽フィールドから突き抜けたそのポジションは、今も昔も革新的です。天才と呼べるミュージシャンは数少ないですが、スライはその一人だと思います。ドラッグの影響で浮き沈みを繰り返していますが、昨年は初来日も果たしています。
果たして、スライの本当の姿は誰が知っているのか。不可能だった本人へのインタビューを含む、この本は、そのヒントになる事柄がたびたび出てきます。スライの家へ来て偉そうにしてドラッグ漬けになっていた男。スライのキーボードを勝手に演奏していたら「オレのものに触るんじゃない」と恫喝されシゲシゲと帰った。「Thank You」が出たときは繰り返しバンドのメンバーに聴かせていた男。あのマイルスもスライの影響をうけ、次のサウンドを探していたようです。
狙っていたサウンド
この男が加入してマイルスが狙っていたサウンドが見つかったともいわれるウェイン・ショーターの伝記『フットプリンツ―評伝ウェイン・ショーター』。やはり、黄金のクインテット時代の話が興味深いです。『E.S.P』録音後マイルスが病気になり、その間メンバーは他流試合に出掛けフリーの洗礼を受けてしまう。プラウド・ニッケルのライブは1年ぶりのマイルスと合流した他メンバーとのつばぜり合いがスリリングです(コンプリートボックスに入っている2枚組みでは少なすぎ)。鏡のようなアルバム『Sorcere』『Nefertiti』の中で、ショーターの音楽性をさらに引き出したマイルスも(マイルス不在の曲もある)凄いヤツと思います。
口利き
中山康樹という人は好き嫌いがあると思いますが、好きなミュージシャンもかぶるので私は結構好き。『ビートルズとアメリカ・ロック史―フォーク・ロックの時代』では、R&R後、ビートルズ旋風を受けてフォーク・ロックが米国ロックのスタート地点となった、という今まで気が付かなかった論点で読ませます。もともとR&R好きのミュージシャンが当時の表現方法としてフォークに携わり、ビートルズをきっかけに米国ロックを模索する。達郎・大瀧詠一の新春放談では《限られたミュージシャンがムーブメントを創造し、あとはそのフォロワーにすぎない》とありましたが、いまだに現役感溢れるディランの動きとかみていると、なるほどそんなものかなぁ...とも考えてしまいます。 意外にも「サウンド・オブ・サウレンス」の録音の口利きをマイルスがしていた話、ちょっといい話です。
地下茎
もう何度も思いますが、なにか頭の後ろをガツンとされるような音楽。もう、出会えないのかな?と思っていたところ見つけた本が『オルタナティブ・ミュージック』。カメラマンの石田昌隆さんが1986〜2004年までに6×6版のフィルムカメラで撮ったミュージシャンの写真120枚にコメントを入れたもの。ラテン関係では、ウィリー・コローン、セリア・クルース&ティト・プエンテ、マリサ・モンチなども紹介されています。
《彼らの音楽は、細分化した結果ではなく、同じ時代の、共有しうる世界で作られたものであり。お互いにシナプスのようなモノで繋がりあっているのではないだろうか》《ここに登場したミュージシャンは、アンダーグランドに張られている地下茎のようなもので複雑に繋がりあっている。(略)ミュージシャンのポートレートを撮り続けることによって垣間見ることのできた地下の風景の記録なのだ》
ちょっと引用が長くなりましたが、インターネットの普及で一気にグローバル化が進んだかと思いきや、まだまだ人間のぬくもりを感じさせる音楽や映像もあるのではないかと。今年はどんな音楽に出会えるか楽しみです。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。