今日は、63歳で亡くなった志ん朝師匠の七回忌
今年になって志ん朝師匠に目覚めた私がおこがましいのですが、今晩は「抜け雀」を聞きながら偲びました。志ん朝師匠の話で、「臭い」とはやたらと「ぶる」奴で「らしい」は「ぶらない」奴だそうです。やたらと偉ぶる、知ったかぶる、専門家ぶる、上司ぶるのが回りにいませんか。専門家らしく、上司らしい人は少ないのではないかとも思います。男らしく、女らしく、人間らしく...自分自身への反省を込めて色々考えさせられます。
落語の世界にある、江戸から明治の今はもう存在しない幻影の世界のようにも感じますが、今の落語もきちんと接してみたい欲求が高まっています。
どこで誰を手始めに見るか、とても迷っています。そんなワケですから、もう少し落ち着いて、寄席に出かけて生の落語の世界に触れたいと思います。それにしても、志ん朝師匠の落語で泣いたり笑ったり怒ったり、なるほどと腕組みをして考え込んでしまったりの毎日です。小朝、志の輔、昇太、談春、志らく、柳亭市場あたりから始めてみたいものです。おっと大事な人を、談志も見ておきたいものです。
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