いやぁ~、たまげたねェ、驚いた。知らなかったねェ、この世界
あたしゃね、ちぃと後悔しているんですよ。何がって、落語だよ。ンなことァわかってんだよって。えー、まっ長い間生きてみてはいるけれど、まだまだァ知らない世界があったってェことが、なんかこう妙に嬉しくなっちまう。近頃だんだん色んなことが億劫ンになってきちゃいましてね。あれやこれや手を出すよりも、なんかこう身近なもので済ましちゃう。それもまァ、結構なたのしみなもんです。でもね、こうして新しい世界を発見するてェと、いつものクセで色々調べたり始めちゃうんだから。
古今亭志ん朝(1938/3/10~2001/10/1)の落語を聞き始めたきっかけは、文學界四月号に掲載の小林信彦「日本橋バビロン」を読んだため。氏の実家である米沢町=両国が時代の変遷と共にどうのように変わっていったかを軸に都市論を展開しています。氏の実家と私の本籍地ー日本橋横山町は目と鼻の先。不思議な縁で妙な親近感のある作家で。その後、植木等の追悼の文章を週刊文春の連載コラムで読み、その分の最後に『名人』が文庫本になりましたとの告知。ああ、そういえば以前単行本で読んだきりで、そのままになっていたので再読しようと思ったのが二週間前あたり。
『名人』は志ん朝が亡くなったことをきっかけに、これまで落語について書きためた文章をまとめた本で、副題のとおり志ん生~志ん朝の親子二代の落語に関する話。これをガイドブックとして、取り敢えずは図書館で借りてきたのが『文七元結(もっとい)』。名人~芸人についてのマクラも軽快に、いつのまにやら本題に入る手際の良さ。艶っぽくて、色気があって、テンポのいいところで聞き惚れていたら突然
「へえ...実はあたしは、横山町の鼈甲問屋、近江屋の手代でございます。今日、小梅の水戸様へ、掛売金をいただきに....(略)」
と。これには驚きました。本籍地のあったところで以前鼈甲問屋をしていたという話を父方の遠い親戚から聞かされていたもんですから、まさか落語の中に同じような話があるとはねぇ。こいつァ驚いたァ!それからというもの、借りてきたCDをiPodで聴きながらの毎日です。TVでは、芸のない連中が食べ物を紹介している安っぽい企画、ヘタで単調な歌、表層だけ撫でた正義感が余計に疎ましい報道。そんなものにいちいち神経を逆撫でされるのなら、きれいな言葉でさらりと演じされる粋でいなせな世界に浸っていたい。そんな感じです。
いつぞや、ボニー・レイト、ザ・バンドをきっかけとしてベアズヴィルあたりに夢中になり、リトル・フィート、ヴァン・ダイク・パークス経由で南下し、ついにラテン~サルサまで行き着いた、丁度71~75年頃。なんか、それ以来の大きな出来事のような気がして、時間を惜しんで志ん朝の落語を聞きふけっています。昨日久し振りに某劇団の若い人(シト)に会ったら「最近BLOGの更新が停滞しているので心配していました」と。ままならないは、志ん朝の落語のせいでした。
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