食い入るようにリストを読み
給与のほとんどを送金
SWEET COCOとのコンタクトは、おそらく82年春以降。現存している82.3.3消印のハガキは、ファーストコンタクトの事が書いてあり、「...まぁ、はっきり言って河村さんのご意見とは、かなりことなります。○○さんとはいつも非常に気があいますが...(略)サルサ天国のお話は友人からおききしましたが、とも角楽しい一夜を(二夜)をおすごしされた事、大変うらやましい限りです」なぁんて、ことも書いてある。もう、40年も前の話。きっかけは、おそらく、ニュー・ミュージック・マガジンの広告を見て連絡をとったのだと思う。
自分の欲しいレコードがどうやった買えるかどうか試行錯誤していた時にSWEET COCOと出会い、リスト(いまでも大切にファイリングしている)は読むだけで2日はかかり、チェックを入れていた毎日。ちょうど彼女にも振られ、自由になるお金はほとんど送金していた。プエルトリコの深層について道を開いてくれたのも、中村さんのおかげ。エラディオ・ヒメネスばかりじゃなく、今のプエルトリコのサルサを知るためのアルバムをずいぶんと紹介してもらった。
ロマンチカの隙間を狙ってきたかのような、メレンゲの逆襲。一時は買うものの大部分がメレンゲだった時期も。どちらかといえばウィルフリード・バルガスよりも、よりオーセンティックな方が好みだった。そして、コロンビア。クンビア、バジェナートに始まりニーチェらのサルサ。いやもぉ、これにはハマりました。メレンゲとコロンビアの美男美女、イナたい佇まい。私の好みにピッタリのジャケットを選んでもらったりもした。
広島勤務時代は帰省のたびに途中下車。東京勤務になってからは大阪広島四国出張のたびにお邪魔する程度のお付き合いでした。それでも、私の好み(ジャケットも含み)から色々とセレクト&オススメをプラスしてもらっていた。83.8月に移転、商店街を抜けて行ったのはどっちの方か記憶にないが、やさしい奥様に何度か明石焼き(この時初めて食べて、なんとおいしいのかと驚いた)をごちそうになったことだけは覚えている。一見話しづらい雰囲気もあったら、1〜2時間も色々と話しをしてくれたものでした。
結婚してしばらく経つとレコードばかり買っている場合でなくなってしまい、徐々に連絡をとっていないでしまったを後悔している。それでも、Facebook上でSWEET COCOに縁の深い方々と出会えるなんて夢のようだし、ホント、ありがたいです。
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