分身ふなっしーが届いてから
やはりどうしても訪ねたい場所が「南三陸ミシン工房」。連休中の合間で誰も居ないと予想し、せめて建物だけでも見たいと考えてました。南三陸町は2005年に本吉郡志津川町と歌津町が合併してできた町。仙台出身といえどもあまりこの辺に詳しくない私には旧名の方が身近に感じられます。震災から5年経ち復興が進む場所を気仙沼から南下し、NAVIとにらめっこしながらなんとか到着。
人の気配があるので近づくと
代表理事である熊谷安利さんが笑顔で「見学ですか?」と迎え入れました。誰も居ないと思ってましたので、ちょっとドキドキしながら作業の邪魔にならないように工房におじゃましました。ちょうど、分身ふなっしーの目と口と返り血の刺繍中。新型ミシンの導入により飛躍的に生産量が増え、午前中にはワタ入れが終わった完成梨が箱にいっぱいいました。
だいたい、60梨/日ぐらいできているそうです。新浦安〜塩釜間の大渋滞で聴いていた志ん朝さんの「今戸の狐」で「できるといえば、大きのから小さいの、金も銀も...」なんてくだりも思い出してしまいました。
工房に降り注ぐ希望という陽
工房は決して広いわけではないが、天井が高く親密で動きやすい雰囲気。ふなっしーがまだ無名時代(ブレイク前)に南三陸の復興のために分身ふなっしーの製作を発注。陰ながら東北のために身を尽くしていた姿。今や様々な形で生まれているぬいぐるみの原点が分身ふなっしーだと思う。そして、この場所にこうして訪れることができるだけでも十分満足でしたが、思いがけず工房見学〜代表理事熊谷さんから貴重なお話をお伺いできるなんて。
大きくなる樹が植えられて
周辺はすっかり流されて何もなくなってしまったそうですが、ようやく田植えができる田んぼもあり牛の匂い(堆肥)がプンプンしてました。工房の入り口に植えられた樹が大きくなる頃にはこの町にも人が戻ってくるのだろうか。
今回閉まっていた気仙沼ニッティング(土日の営業)やかもめ食堂でも感じましたが、地元の熱意と例えば東京からなどの思いが融合すると新しい試みも前に進んでいくのかな。東北と自分、熊本と自分を結ぶヒントのようなことが公式サイトからも分かってくる。無配慮でけたたましい報道合戦や自立していない未熟なボランティア集団からは決して見えてこない糸口=真実がここにはあると思う。
■南三陸ミシン工房
http://www.mishinkoubou.org/
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