マガジンという存在
ロックに目覚めた高校生だった私には唯一の情報源だった「ニュー・ミュージック・マガジン」。「ミュージック・ライフ」に物足りなさを覚えたころ確か4号あたりから読み始めた。創刊号以降バックナンバーを取り寄せ、毎月貪るように読んでいた。自分で買えるLPは月に2枚程度、ロック喫茶ピーターパンに通いながら好きなアルバムを模索する毎日だった。
はっぴえんどを巡る日本語ロック論争、ブルーズ、福田一郎さんのレオン・ラッセルを中心とした連載(単行本化して欲しい)などマガジンから知った情報も多かった。そのうち、べアズビル関連〜ウエストコーストが好きになってどちらかというと小倉エージさんや北中正和さんの記事を熱心に読んでいた。
そして、サルサを知ったのもマガジンからだった。河村さんと藤田さんのレコードコンサートにも通い始め、あとは怒涛のラテン野郎化。粋がって髭にBIGIのスーツにシャツの襟は広げ...なんて格好もしていた。井の頭線で友人がその格好を見て驚いてしまった顔を今でも思い出す。今考えると恥ずかしいけどネ。
とうようさんという存在
ロックに加えて、ブルーズから始まるブラックミュージック、ラテン、今で言うワールドを丹念に紹介していたのがとうようさんだった。どの音楽のジャンルもアプローチや勧め方に、当時かなり影響を受けたことも確か。大衆音楽の真実〜オーディオブックシリーズによって幅広く音楽を楽しむことも知った。
図書館から借りて読んだ、田中勝則さんによる「中村とうよう 音楽評論家の時代」は生い立ちから、音楽評論家として独立、マガジンを創立、そして残念ながら自死するまでクロニクルに紹介されて、知らなかったことも含め色々と気付かされた。特にラテン音楽に対する記述部分は何度か読み返してしまった。中南米音楽研究会京都支部での永田文夫氏との出会い。75年に開店した中目黒のレコード店「ディスコマニア」は永田氏の元奥様の昭子さんが開いた店。店の会報誌「ラテン・レコード情報」もお手伝いしていた。
62年に発刊された『ラテン音楽入門』は70年代なかばに図書館の処分本から見つけて大切に読んでいた。初めて買ったサルサの4枚『ライブ・アット・ザ・チータ』『必殺のサルサ』『サルサの太陽』『サルサ』はとうとうさんが企画した日本盤。半年近くこの4枚ばかり聴いていて、どこかの瞬間に目に前がぱっと明るくなった事を今でも覚えている。
その後はあまりとうようさんを頼らず音楽を聴いていて、いつの間にかマガジンも買わなくなってしまい(立ち読みはしていたけど)、徐々にある種のとうようさんの呪縛が解けていった。そういった意味に合わせて公私ともども忙しくなっていたせいもあり、その後ワールドと呼ばれる音楽を深く聴く機会を逃してきている。とうようさんがワールドへ熱心に関わっていた事を詳しくこの本で補足できた。また、個人的に気になっていた、突然藤田さんがマガジン関連の記事を書かなくなった事情〜バッド・ニュース創刊(P.446〜、P.574〜)もかなり気を使って記述されている。
私も含め今や音楽をサブスクで聴くのが中心になっているが、CDや本でそれを補足する評論というのが重要だと思う。今でも色々な事を気づかせてくれるのが多いのだが、映画評論にもいえるが優れた評論よりも内輪話の延長が多いのも確か。もはや読まれなくなったのだろうか?いや、ジョニ・ミッチェルのアーカイブシリーズのライナーは本人が語っている(聞き手は映画監督キャメロン・クロウ)ことも含めて素晴らしい内容だったし、ネット上で展開される内容の濃い評論にも今後も期待していきたいと思う。
コメント
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