言葉一つ一つが心に染み入るんだわぁ
とは亡き妹の言葉。たまに、その事を思い出して色々考えていましたが。志ん朝さんが朗読する鬼平犯科帳を手に入れて聴き始めたらもうすっかりハマってしまいました。志ん朝さん自身もTVで木村忠吾役を演じていましたが、そこは江戸弁を自在に操り、もうファンならずともたまらない。もう、涙が出そうなほど素晴らしい。
カセットで発売され(88-89)絶版だったのを2005年にCDとしてリイシュー。個人的には池波正太郎って初体験ですが奥が深そう。そのままの勢いで年明けに、近所のBOOK・OFFでのバーゲンで1~10巻を大人買い(24巻まである)してしまうほど。文庫本は2000年にリニューアルされて、ジャケット変更、文字が大きくなって読みやすくなっています。
CDで聞いた話を本でも読んでみると、これは時代劇小説ではなく、江戸を舞台としたハードボイルドではないかと。同時に購入した村上春樹訳「大いなる眠り」のあとに、じっくり攻めてみようと思ってます。
制約がなく、その分キースの本質を現しているような「NO END」
帰省中、自分の時間がなかなか取れなくてモゾモゾ。今回は新幹線で帰ったのでクルマがない不便さも同時に痛感。1/2夜に戻りようやく、TVの騒音などからも開放されようやく音楽を聴く気になった次第。その初めが上記の「鬼平犯科帳」、その後早朝に聴き始めたのがキース・ジャレット「NO END」。
ソロでもなくトリオでもない、86年の宅録
ドラム、ベース、ピアノ(1曲のみ)はもちろんのこと、なんとギターもキースが一人で演っている。85年の「Sprits」も宅録ですが、「Sprits」の方はよりキースのルーツっぽい味わい。一方「No End」は制約がなく、その分キースの本質を現しているように感じます。
エレクトリック・マイルス時代にアコースティック・ピアノでソロ・アルバム 「Facing You」を作っていたキースならではではないかな。「キース・ジャレットの頭のなか」で中山さんが指摘しているように、新作にとらわれず過去の録音を、まるでディランのブートッグシリーズのようにリリースしているキース。次はどんな禁じ手を出してくるのか、これからも楽しみです。
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