「誰のせいでもねんだ、アキ…自然のいい所ばかり利用して自然の怖えとこ目背げて、そのうち忘れてしまう…それが人間の傲慢さだ」
「正直、分がんねがった…オラに出来る事やるべき事って何だべってずっと考えてた。東京でテレビ見でだらあまりに問題が山積みで、何万人のデモ行進とか何百万トンの瓦礫とか。正直オラひとりじゃどうにもなんねえって気になっちまう。頑張ろうどか一つになろうどか言われても息苦しいばっかりでピンとこねえ。んでも帰って来たらいろいろハッキリした。とりあえず人は元気だ。みんな笑ってる。それはいい事だ。食べる物もまあある。北鉄も走ってる。それもいい事。んだ東京さいたらいいことが耳さはいってこねえんだ。つれえ事ばっかりで …あれ?なんの話だ?」
ヒサイチ、カセツ、フッコウ、キズナ、フクシマ...
厳しい現実に直面しながらまだメドの立っていない生活を続けている人達へのメッセージなのでしょうか。ここの場面を何度も見てしまいました。そして、オリンピックの東京開催が決定した時の違和感。安倍首相の嘘を嘘と貫こうとする姿勢、付き合いでプレゼンテーションをフルバージョンで見た後の居心地の悪さ。これは何だったんだろうかとしばらく考えていましたが、震災直後にACジャパンの広告を強制的に見せられたことを思い出して、実に嫌な気分が続いています。招致や開催に使う(使った)お金と災害復興・原発への予算を同時に考えない人もいるようですが、少なくても私の中では切り離せないことになっています。株価、経済効果、成長戦略、もう札束に群がる者達。(上の写真は明大前のホームで、下の写真は9/9の夕刊)
「でっかい運動会でいいじゃないの」とママボリンケンが話しているけど「開催期間が7/24~8/9というのも意味深なのよ。どうしても、8/15前には終わってないと...」。
7年後の日本と東京がどのように変わらざるを得ないのか、変えてはならないものをどうやって残すのか。ちょっと真面目に考えてみたいと思っています。
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