1946年プエルトリコのポンセに生まれる。父親も歌手らしく、すでに14歳の時には歌手としてのキャリアをスタートさせている。17歳の時にはNYへ渡り、プエンテ、ティト・ロドリゲス、パチェーコのバンドで歌った後、ウィリー・コローンとのコンビが始まったのが66年。73年にウィリー・コローンのバンドを引き継ぎソロ・デビュー。一度麻薬で倒れプエルトリコに戻るが、その後復帰しサルサの看板歌手として大活躍する。ここ5〜6年は活動も無く、自殺未遂をしたとか、闘病生活しているとか、良いニュースはありませんでしたが、流石に死の知らせを聞いた時は言葉がありませんでした。今でも心のどこかで引きずっている様な気がします。80年迄のアルバムは、どれも素晴らしい内容です。いかにもNYらしくエレガントに迫る一歩間違えると危ういボレーロ。そして、ちらりと見せるモントゥーノでのスゴミ。勿論、ウィリー・コローンのプロデュース、ペリコ・オルティスを含めNYのトップクラスのミュージシャンの素晴らしさも忘れられません。バックでは特に、プロフェッサー・ホセ・トレスのピアノが正にロマンチックかつスリリングで、へたにジャズ風にならず(ここが重要です)これぞサルサ!という味わいです。
80年代に入ってからは、活動が断片的になりファンをやきもきさせてしまいました。丁度NYのサルサシーンも以前程活発では無くなった時期とシンクロする様な気がする。今から思うと何かの関係があると思えるようです。「浮き沈みの激しい歌手人生は、情緒不安定気味で人を不安にさせてしまう歌の内容そのままの様だわ」。"DE TI DEPENDE"の歌の内容を電話で教えてくれた人が、電話の最後にこうつぶやいていました。
LA VOZ / HECTOR LAVOE (FANIA 461) 1975
DE TI DEPENDE / HECTOR LAVOE (FANIA 492) 1976
COMEDIA / HECTOR LAVOE (FANIA 522) 1978
RECORDANDO A FELIPE PIRELA / HECTOR LAVOE (FANIA 545) 1979
EL SABIO / HECTOR LAVOE (FANIA 558) 1980
QUE SENTIMIENTO! / HECTOR LAVOE (FANIA 598) 1981
VIGILANTE / WILLIE COLON & HECTOR LAVOE (FANIA 610) 1983
RENENTO / HECTOR LAVOE (FANIA 634) 1985
STRIKES BACK / HECTOR LAVOE (FANIA 647) 1987
93/09/07 NiftyのフォーラムへUPした文章です。
久し振りにLPを出してきて裏ジャケをしげしげと眺め、ダイヤのちりばめられた指輪を初めて見たとき、なんて世界だ!とおののいてしまった事を想いだしてしまいました。とうとうライブを見ることが出来ませんでしたが、10年程前生前のライブのVTRを入手する事ができました。一つはTVから、もう一つはどこかのパーティーでの映像でした。全盛期を過ぎたその姿を見ていて何も言えなくなってしまいました。もう彼のような世界はないのでしょうか?そういえば、マーク・アンソニーのおじさんがエクトル・ラボーと聞いて心のざわめきを沈めることが出来そうです。
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